日々是流流

“細工は流流仕上げを御覧じろ”~より善く生きるためのその時々の記録です。

世界をどのように見ているか

evernoteを整理していたら、(たぶん)一昨年の書きかけの記事があったのでアップしておこう。

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年末年始、高校サッカー高校ラグビー、駅伝など、見ておきたい放送のスケジュールを確認するために、テレビガイドを買いに近所のスーパーに行きました。
 
雑誌などがささっているラックの前に行くと、初老の女性がカートを横向きにおいてラックの正面を全部ふさぎ、何かの雑誌を熱心に見ていました。

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私は瞬速で、
「じゃまだなー、他の人が見れないじゃん。周りが見えてないなー」
と評価判断をしまくりつつ、
 
そのおばさまの横から手を伸ばし、何種類かあるテレビガイドを手に取り、どれが見やすいかなーとパラパラ見ていました。
 
するとそのおばさまが、横から私の顔をガン見。
 
その瞬間
「こんなに露骨にジロジロ見るなんてぶしつけな人だなー」
とまたまたジャッジ。
 
 
すると次の瞬間、
「ねえ、おねーさん」
と声をかけられました。
 
「はい?」(何か文句言われるのかな?)と内心思いながら返事をすると、
 
「これ、いくらって書いてある?」
と、おばさまが手に取っていた雑誌の裏側に書いてある値段を聞かれました。
なんのことはない、老眼で値段が見えなかったようなのです。
 
「1,080円ですよ」
と答えると
 
「ありがとう。目が悪くってねえ」
と笑いながらお礼を言われ、おばさまはカートにその雑誌を入れ、立ち去りました。
 
 
ほんの数秒だけれど、自分が世界や人をどのように見ているのか、反省させられる出来事でした。
 
「いくらって書いてある?」と聞かれる前の自分は、そのおばさまを「迷惑をかける人」としてとらえていましたが、
 
聞かれた後の自分は「助けを求めている人」と捉え直し、優しい言い方で「1,080円ですよ」と答えていました。
 
その瞬間に認知が変わったことに、自分でも気づきました。
だったら最初から、後者の認知で世界を見ることができればいいのにね。
 
デフォルトの認知は、これまで生きてきたコンテキストを背景に「被害者モデル」的に作られてしまっているので、きっとそう簡単には変わらないだろうけれど、こういう日常のなんでもないときにこそ、その自分の認知構造に気づいて、書き換えるきっかけにしていければと思ったのでした。