笑える、笑えない話
そこに「笑いの泉」が湧いているかのように。
それは単に、ユーモア好きな人が多いからというわけではなく、浦河べてるの家の理念に裏打ちされている場づくりだ。
「笑い」の力――ユーモアの大切さ、これが本当に、弱さを開示できる場を生み出している。
例えば先日の勉強会で、ソーシャルワーカーの向谷地さんが例えとして話していた。
「マヨネーズから真珠をつくりたい」という当事者の人がいたら、積極的に迎合するのだそうだ。
「ほんとにできたらすごいよね!」
「特許とったら大金持ちだよね!」
そうすると、当事者の人は、自分の言うことをまともに受け取ってくれる人がいる、と安心して、自分のことを語り出す「心の余裕」ができてくる。
でも、私は、そういうことを「頭では」わかっていても、人から言われる印象のTOP3に、必ず「まじめ」という言葉が入るように、「おもしろがる」という資質がやや(かなり?)弱い。
なので、
「笑いが大切だ!」
「笑いの中に、人の心をつかむ本質がある!」
と「まじめ」に考えて、「笑いに関する本」を買うという行為に、これまでは走っていた(笑)
「笑う」とか「おもしろがる」とかの方向じゃなくて、
「まじめ」に「勉強」しちゃう。
今、ぱっと目についただけでも、「笑い」に関する本をこんなに持っていた!
※念のため、ここ、笑うところです(笑)
これはこれで、ほんとに「お勉強屋さんだなあ」と笑えるんだけど、
今改めて思うのは、もっと自然に「おもしろがる」っていうことをしていなかったなあ、したいなあと。
自分は、笑わない人間というわけじゃない。
お笑い番組は好んでかなり見ている。子どもたちよりも。
まじめすぎるというわけでも、たぶんない。
ただただ、「不器用」なだけなのだと思う、今日この頃なのです。