日々是流流

“細工は流流仕上げを御覧じろ”~より善く生きるためのその時々の記録です。

映画『ライファーズ』&『トークバック』を見て

先日、プリズン・サークルについてUPしましたが、

flow.hatenadiary.com

 

坂上香監督の過去の作品を観たい!と思って調べていたら、田端の映画館で期間限定公開していたので、先日観に行ってきました。

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●『ライファーズ』について

まずは映画の概要。映画館のサイトから。

受刑者が300万人を超える米国。Lifersライファーズとは、終身刑、もしくは無期刑受刑者のこと。
彼らは殺人や強盗などの深刻な犯罪を犯し、更生不可能というレッテルをはられた人びとであり、社会から忘れられた存在である。
民間の更生団体「アミティ」が行う更生プログラムでは、加害者である自分、また被害者であった自分をさらけ出して語り合う。
刑罰でも矯正でもなく、対話を通して、「自分がなぜ犯罪を犯すようになったのか」の問いに徹底的に向きあう。
そして、それぞれが罪の償いを模索し、「どのような未来を生きたいか」というビジョンを作りあげていく。
監督は、初めて日本の刑務所にカメラを入れた『プリズン・サークル』が公開間近の坂上香監督。TV番組の取材で「アミティ」を訪れ、長年にわたり取材し新しい生き方を模索するライファーズの姿を捉えた。

 

ちなみに、島根あさひ社会復帰促進センターのTCは『ライファーズ』を参考にしており、受刑者全員にこの映画を見せているそうです。

ライファーズ』に出てくるのは、終身刑の受刑者なので、非常に重い罪を犯しています。過去に「更生不可」と思われてきた彼らが、アミティのプログラムに参加することでドラスティックな変容を遂げていきます。1年~1年半のプログラムに参加した受刑者の出所後の再犯率は27%、参加していない受刑者の75%と比べると目に見えて低くなっているそうです。

さらに、出所が認められた後も、1年間住めるという共同生活の場所があり、社会で孤立しない支援の体制があります。

プログラムに参加している受刑者同士、出所してからも、お互いの存在が、ある種の重しになっているというか、ふわふわと飛んでいかないように、足を踏み外して崖から落ちないように、支え合っていける基盤があるということは、とても大切だと思いました。

さらに、印象的だったのはサンクチュアリ(安全な場)」という言葉が何度も何度も出てくること。彼らは壮絶な虐待をサバイブしてきた過去を持つ人がほとんどなので、おそらく人生の中で「サンクチュアリ」を経験したことがない。

だから、このプログラムの中で、実際に何を言っても、否定されずに受け止めてもらえるという体験、さらにもっと大きな意味で、「あなたという存在を、まるごと尊重します」と受け止めてもらえるという体験をすることでやっと、自分の罪の大きさに向き合うことができるのだということが、映像を通してよくわかりました。

引用すると長くなってしまうので、ぜひこちらの論文か、書籍を。

映画「ライファーズ」の製作における「変容の物語」

 

ライファーズ  罪に向きあう

ライファーズ 罪に向きあう

 

 


●『トークバック』について

こちらもまずは映画の概要。映画館のサイトから。


トークバック』とは、『声をあげ』、人々と『呼応しあう』こと。
米サンフランシスコの刑務所で誕生し、元受刑者とHIV陽性者の女性たちが自身の人生を芝居にして上演するアマチュア劇団「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場」を追ったドキュメンタリー。1989年、女性受刑者たちが人生を取り戻すためのワークショップとして演出家のローデッサ・ジョーンズが創設した「メデア・プロジェクト」は、2008年からHIV/AIDS陽性の女性たちとのコラボーレションを始める。
受刑者やHIV/AIDS陽性者たちが自ら声をあげることで、彼女たち自身が偏見や恥にどのように対応していくのか、そうした姿が観客や周囲にどのような影響を与えるのかを見つめていく。

 

こちらの方がどちらかというと、自分事として考えてしまう映画でした。
映画を観ているあいだじゅう「さあ、あなたはどうするの?」と問われているような気持ちになりました。何か動かなくちゃ、というか、背中を押されているような。今の自分のステータスがちょっと立ち止まっている状態だったからかもしれません。

さらに、依存ではなく、自分の足で立っていながら、支え合う女性たちの姿があって、そういう彼女たちの語りにふれながら、人とつながること、痛みを語ること、受け止めてもらえること、表現をすることの重要性についても、あれこれと思いが巡る映画でした。

ひときわ印象に残っているのは、話をするときに、ずっとにこやかに笑顔で話している女性(名前を忘れた)。その人を私は、HIV陽性なのに、その出来事を受け入れて、すごく前向きに生きているなあ」と思いながら見ていたのですが、それは表側だけしか見ていなくって。最後にその裏側が、ちゃんと描かれていました。

映画の撮影をした(たしか)一年後の、追加インタビューの映像。家族に感染を話していなかったけれど、やっと勇気を出して話をしたことで、なかったことにしていた記憶が蘇ってきた。そして、HIVウイルスに感染する前の、その自分の傷を癒してあげる必要があったということに気がついた、と。

彼女は、その過去の傷について詩を書きました。
彼女が読み上げたその詩は、「私は見ている。 ~をされた女の子を」というくだりがいくつも出てくる詩。

詩の中に描かれていたのは、彼女の笑顔からは想像もできないほどの壮絶な記憶でした。
でも、彼女はそれを、詩という形で表現をし、客観視して、その痛みを抱えきれなかった自分をいとおしんで、受け入れて、癒しのプロセスに進むことができた。その姿は、同じような状況にで苦しんでいる人にとっての光になると思いました。

 

ライファーズ』や『プリズン・サークル』は、

「加害の語り」には、「被害の語り」が欠かせない。
責任をとるためには、むしろ自らの被害体験に「徹底的に」向き合うことが不可欠であるという。

ということを伝えてくれる映画だけれど、『トークバック』は

「被害」と付き合っていくには、自分の「傷」「痛み」と向き合うことが欠かせない。そしてそれは、当事者同士の呼応(トークバック)によって、可能になる。

ということを、教えてくれました。

こちらの記事も参考までに。

www.huffingtonpost.jp

 

<おまけ>

今回行った映画館は田端にあるCINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)。

chupki.jpn.org

商店街の中にあり、美容院のような外観です。

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座席は20席。こじんまりとしたという形容詞がぴったりですが、居心地はいいです。

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この日、映画を観終わったあとは、前々から行ってみたいと思っていた赤シャリの回転ずし、「もり一」へ。

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並んでるかな?と思ったら、空席があってすぐ座れて、生ビールを飲みながら5皿。

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シャリは他のお店と比べると、すごく甘く、本まぐろは回転ずしとは思えないほどおいしかったです。

超絶寒い中、満月を見ながら、帰宅しました。

 

 

その聞き方、違反切符を切られるかも!

「対話」に関する活動を2009年に初めてから丸11年。
登山に例えたら、いくつかの山を登っては降り、登っては降りして、今はさらなる大きな山の麓の方でうろちょろしている感じです。

そんななか、昨年の夏くらいから、あらためて

「対話とは?」

「どうしたら”本当に”対話ができたといえるのか?」

みたいなことを考えたり、そういう場に参加したりしています。

 

やはり難しいのは「聴くということ」です。そこで今立ち止まっています。

「なんでそんなに難しいのか?」

「本当に聴くとはどういうことか?」

「どうしたら聴けたといえるのか?」

ここはとっても大事なところなので、さらっと通り過ぎずに、腰を据えて咀嚼をしていこうと思っています。
しばらくこのテーマを書きながら考えていきたいと思います。

誰かの困りごとをきいているとき、ついつい聞き手がやってしまいがちなことをいくつか考えて、それをさらに、車に乗っている状況に例えてみました。なんで車なのかというと、ただ単にそんなイメージが浮かんだからです笑

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●一発免停レベル

「それはキミが悪いよ」

いきなり話し手を否定する。
これはもう話す人が完全に心閉ざしちゃうやつ。

●追い越し運転

「だったら〇〇〇すれば」

「〇〇さんは▲▲だから、気にしてもしょうがないよ」

相手の心情完全無視。いきなりアドバイスする。考え・解釈を押しつける。
(いや、そうかもしれないけどさ…)となる。

煽り運転

「それいつのこと?なんでそこに行ったの?なんでそんなこと言ったの?」

尋問、詰問するかのごとく質問しまくる。
(あれ?私が悪いのか?)となり、言い訳モードに入ってしまう。

●幅寄せ運転

「あなたはどうなの?あなたはどうしたいの?あなた次第だよ?」

話し手の話を十分に聞く前に本人の意思や意図を問いまくる。
(いや、そうなんだけど、それがわかんないからこうして話してるんだよね…)となる。

●勝手に違う道に誘導する

「あー、あるあるそういうこと。□□□ってことでしょ!そういうときってさー、○○だよねー」

話し手の言いたいことと別の方向に話を持っていく。
(そういうんじゃなくて…)となる。

●ハンドルを奪うorブレーキをかける

「わかるー。こないだ私も▲▲って言われてさー…、で、△△になってさー…」

話し手の話を、いつの間にか自分の話にすり替える。
(あー、えーっと、私の話は…あっ、うん、そうだねえ…)と、いつの間にか話し手と聞き手が入れ替わってしまう。

●なんか遠い

「へーそうなんだー」「ふーん」

聞いているんだけど、運転席とサードシートに座ってるみたいに、なんか遠い。
(この話しないほうがよかったかな…やっぱやめておこう…)となる。

●エンスト、ガス欠

そもそも聞く気がない。聞いていない。
新聞を読んでるお父さんみたいな感じ。

その他にも聞き手がやってしまいがちなことはまだまだありそうですが、ここに書いたことって、結構しょっちゅう目撃しています。
自分も無意識にやってしまうこと、あります。

でも本来は、理想の聴き方としては、

相手が運転している横で、助手席に座ってうんうんと聴いている感じがいいのではと思っています。

追い越さないし、邪魔もしない。圧もかけない。
その人が自分で運転して進むのを、同じ景色を見ながら、隣に座ってただ一緒について行く。

運転する人が話していれば耳を傾ける。意見を聞かれれば答える。

ときには共に沈黙を味わう。
なぜならその沈黙は、話し手の中では活発に言葉と思考と感情と感覚がうごめいている時間かもしれないから。

今は、こんな感じがちょうどいいのかなあと思っています。

昨年末、西村佳哲さんのインタビューワークショップに参加して、さらに奥深い「聴くの山」に上ってきました。そのあたりはまた改めて書いていこうと思います。

 

【ここからお知らせ】

●2/22(土)午前 「人を巻き込む力を高める!」ワークショップ
http://world-cafe.net/event/post-128.html

「やらないと絶対にわからないけど、やると学びが深く、やった後1ヶ月経ってもじわじわと気づきが来る」と評判です。ぜひ一度体験してみてください。


●2/22(土)午後 「こじらせ自己啓発への処方箋」ワークショップ
http://world-cafe.net/event/post-129.html

「とことん、自分じゃない誰かになりきってみる」という体験を通して、自分を見つめ直していきます。

 

映画『パラサイト』を観て、ぼやぼや思考にメスを入れる

1月の終わりに映画『パラサイト』を観に行きました。

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仕事が一段落して気晴らしのためだったので映画ならなんでもよかったのですが、たまたま知人のfacebookのポストで『パラサイト』を観て驚愕した!と書かれていたので、観ることにしました。
だからどういう映画なのかも、世界中で話題になっているということも、そのときはほとんど知りませんでした。


映画の内容は、韓国の行き過ぎた格差社会が生む「ひずみ」を描いていて、前半はややコミカルに、後半は予想外の展開で観客を呑み込んでいくような感じでした。「え?どうなるんだろう?」と最後まで目が離せないというか。

そして、観終わってすぐ、是枝監督の『万引き家族』を思い出しました。
後味はまったく違うけれど、『万引き家族』がカンヌでパルムドール賞を受賞した際に、「見えない人々(invisible people)」を扱った映画と評されたように、社会からこぼれ落ちた人たちを扱っていたからです。


その後、このハフポストの記事を観て、そういうことねと納得をしました。

www.huffingtonpost.jp

ポン・ジュノは『パラサイト』を語るときに、ケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』と是枝裕和の『万引き家族』をあげている。ともに近年のカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した作品だ。3作に共通するのは、各国における格差社会と、それに翻弄される家族を描いている点だ。

これらの作品がここ3年ほどの間に発表されて注目されてきたのは、けっして偶然ではない。すべて新自由主義の社会政策を推し進め、その結果として経済格差が拡大した国で生まれた映画だ。

小さな政府を目的とする新自由主義において、それがわかりやすい残酷さとなって露呈するのは社会保障と教育である。映画の登場人物たちは、苦しみ、抗議し、暴動を起こす。映画から発せられるそのメッセージは、極めてストレートだ。

 

新自由主義とは?
新自由主義とは、市場(経済活動)への国家の介入を最小限にするべきと考える思想で、小さな政府、民営化、規制緩和といった政策を目指す経済思想
小泉純一郎政権で行われた郵政民営化などの一連の政策が、新自由主義的政策として知られています。

liberal-arts-guide.com

 


以前、このブログで学歴の壁や地域格差についての投稿をしたことがあったけど、

flow.hatenadiary.com

格差について考えようとすると、私の思考はいつも「もや」がかかったようになる。自分が富裕層や学歴強者ではないので、「社会システム」をつくり出す側のエリートの世界の実態を知らないからなのか?と思っていたけれど、そもそも社会のしくみそのものをあまり知らないからだろう。思考停止というか、思考ぼやぼや状態になる。


そんな状態な自覚はありつつも、ひとまず、ハフポストの記事で言及されていたケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』をまだ観ていなかったので、primeビデオで観てみました。

そして、なんとももどかしさを感じました。
なぜまじめに生きているはずの人も、まじめに仕事をしているはずの人も、時間とお金を使ってまで、お互いに不幸に向かっていかなくてはいけないのか?


こちらの著者のブログが当を得ていて映画のメッセージをわかりやすく伝えてくれていました。

hirokimochizuki.hatenablog.com

ケン・ローチパルムドールの受賞スピーチでこう語ったそうだ。

「映画にはたくさんの伝統がある。その一つは、強大な権力を持ったものに立ち向かう人々に代わって声をあげることだ。そしてこれこそが、私の映画で守り続けたいものだ。」

 

人と人との支え合い、よりドライな言い方をすれば私人間の助け合い、それはあればあるほど良いものだ。ただ、それが本質的にとても脆弱で、弱い者がそれを求めることに躊躇する、申し訳ないと思う、恥を感じるものであるということも決して忘れてはならない。

最後の砦は国家である。たとえそれが憎々しい官僚主義に毒されていてもそうなのである。しかし、同時に、人はただ生きるために生きているわけではなく、尊厳の維持と公的扶助の申請とがある種のトレードオフに入っていく瞬間を見逃すこともできない。

 

以前、ハンナ・アーレントの『人間の条件』の読書会で、

国家とは何か?
国民とは誰か?(何によって国民というのか?)

ということについて対話があったのですが、

そもそも人権は誰が誰に保障しているのか?というと、
国家が国民に保障しているが、それは国籍がある人が前提。
さらに、福祉国家は経済発展がないと成り立たない。

福祉国家が壊れると、ナチスドイツのように全体主義に向かう。
つまり、国家は排除する莫大な人を前提としている。

というような話がありました。

日本でも、戸籍のない人、まさに「見えない人々(invisible people)」が1万人以上いると言われています。

台風のときのホームレス受け入れ拒否のニュースなど、顕現している「ひずみ」だけでも相当なものです。

短絡的な救済や福祉を叫ぶのではなく、「ひずみ」を生む社会の仕組みについて、とにかくもっともっと知らなければなりません。

 

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「とことん、自分じゃない誰かになりきってみる」という体験を通して、自分を見つめ直していきます。

人間国宝 野村万作さん、親子三代が揃う狂言の会に行ってきました

昨日、キラリふじみで、立春狂言「万作の会」を鑑賞してきました。

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会場がある埼玉県富士見市は、文化芸術の振興にかなり力を入れている市です。

2002年~2006年は、平田オリザさんが初代の芸術監督をされていて(現在は富士見市文化芸術アドバイザー)、市民が気軽に参加できるワークショップやアウトリーチ活動に積極的にとり組んでいます。

この「万作の会」も実に、10回目(10年目)を数えるほど続いているプログラムです。
これまでなかなか観に行ける機会がなかったのですが、1週間ほど前に予定が調整でき、慌ててチケットを購入しました。

人間国宝野村万作さん、オリンピックの開閉会式の総合演出など八面六臂の活躍を見せる野村萬斎さん、そして公文のCMでおなじみの野村裕基さんの親子三代の共演が何より楽しみです。

ちなみに、会場のキラリふじみの向かいには、巨大なららぽーとがあって、市民が集まるには持ってこいの立地です笑

 

途中でお腹が空かないように、席に着く前に、ロビーで売っていたどら焼きを1つ食べました。

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「なんで縄文?」と思ったら、富士見市には縄文時代前期の水子貝塚があるのだそうで(これも今度行ってみよう)、それにちなんで地元の和菓子屋さんが売っているようです。


ロビーでは、お着物で来ている方も多く目につきました。さすが芸術振興のまち!

 


会場に入るとまず目につくのはホールの舞台の上の能舞台

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鏡板(背面)には、通常は松(老松)が描かれているのですが、ここでは金屏風でした。

 

開演時間が来ると、野村萬斎さんが登場。
最初の30分程は、萬斎さんの解説です。

その日の演目『蝸牛』『花折』について、初めて観る人でもわかるように、話の筋だけでなく、演者の動き、狂言のお約束事などを説明してくれました。

狂言は舞台にほとんど何も置きません。すべて"エアー"でやるんです」と会場に笑いを誘ったり、『蝸牛』の盛り上がりどころの囃子言葉を会場のみんなで歌ってみたりと、すっかり会場があたたまってから、一つ目の演目が始まりました。


演目の説明は、こちらの当日配布のプログラムにて↓

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それにしても、御年88歳(!)の万作さん、20歳の孫の裕基さんとは何度も共演していると思いますが、この日もとても楽しそうに掛け合っていました。「師匠とその弟子」というよりは、「おじいちゃんと孫」というメガネでこちらが観てしまっているからか、観ている方までなんとも楽しくなる掛け合いでした。

しかもかなりの長い時間、掛け合いをしながらケンケンで舞台の上を飛び跳ねている!
息が切れるんじゃないか、とちょっと心配してしまいましたが、いやはや、国宝にそんな心配は無用。最後まで太郎冠者の絶妙なおとぼけ具合で、会場には常に笑いが起きていました。


15分の休憩をはさんで、2つ目の演目『花折』が始まりました。

こちらは萬斎さんが新発意役で登場。
お花見、酒盛りのお話なので登場人物も多くにぎやかで、さらに萬斎さんの動きや言葉にみんなが注目して、こちらも幾度となく笑いに包まれていました。

狂言を観てというよりは、おそらく萬斎さんを観て笑っている状態になっていたのかもしれません。動きや間、声の節のつけかたなど、やはり独特の個性がありますね。


萬斎さんの解説が最初にあったので、2つの演目ともたっぷり楽しめました。千人近くで同じ舞台を観て笑う。なんとも健康的、文化的な時間ですね。

過去に萬斎さんが出演された能楽堂や夜桜能での鑑賞もそれぞれ味わい深い体験でしたが、この日はまた違った雰囲気で、あたたかでファミリアな感じがする素敵な体験でした。

室町時代から続いている狂言。その時代その時代ごとに、きっとスターのような演者がいて、民衆から愛されて、令和の時代までその舞台が受け継がれてきたのではないかと思います。

3月、4月とまたチケット取っているので、それも楽しみです。

 

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●2/22(土)午後 「こじらせ自己啓発への処方箋」ワークショップ
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「とことん、自分じゃない誰かになりきってみる」という体験を通して、自分を見つめ直していきます。

 

 

映画『プリズン・サークル』を観て思考停止していてはいけない

1月25日から公開されている映画『プリズン・サークル』を公開初日に観て来ました。

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(フライヤーの文言を簡単に抜粋すると)
この映画は、取材許可を得るまでに6年、そして撮影に2年。
初めて日本の刑務所にカメラを入れたドキュメンタリーです。

舞台は島根あさひ社会復帰促進センター。官民協働の新しい刑務所です。
受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入しています。

彼らが向き合うのは、犯した罪だけではありません。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していくのです。

 


映画『プリズン・サークル』予告編


映画を観て感じたこと

映画は数名の登場人物を軸にして展開していきます。
一番驚いたことは、TCの場では各々がこんなにも自分のことを語るのだということ。
相当の時間と、何を言ってもいいんだという安心が確保されない限り、こういった言葉が出てくることはないだろうなあと驚くほどの、率直な語りがされていました。

また、後半の方でロールプレイをやっているシーンが出てくるのですが、加害者役の本人以外の被害者、親、彼女などの役を同じ受刑者が演じます。
その役割を演じているはずの人がすごく泣いている。

彼らの涙には、その役の気持ちがわかるという共感の涙だけでなく、おそらく自分が迷惑をかけた人たちもきっとこんな気持ちだったのだろうという後悔も含まれていたのだろうと思います。

罪を犯した本人も、そんな風に真剣に気持ちを伝えてくれるロールの人たちの様子を見て、自分は周りの人をこんな気持ちにさせていたのかとはっとする様子が見えました。

その他、受刑者たちの悲惨な過去(虐待、いじめ、すさんだ生活など)の話を聞くにつけ、人はもともと犯罪者として生まれるのではなく、環境が犯罪を作っていくのだ、虐待そのものがどうにか防げないものかということを考えていました。

ただ、一方で、そんな薄っぺらい言葉じゃないんだよね~という感じがしてなかなか、SNSやブログに映画のことをアップできませんでした。
もっと「ずしんとした感じ」が身体に残っているのです。

この「ずしんとした感じ」がなんなのか、もう少し言葉を探してみたくて、坂上監督の記事にいろいろ目を通してみました。


TC(Therapeutic Community=回復共同体)というプログラムについて

まずはこのプログラムとはどういったものなのか?ということですが、もともとは、アメリカの民間更生施設「アミティ」が運営しているプログラムで、問題や病気などを抱える「当事者」たちが、互いに影響を与えあいながら、回復を促しあうセルフヘルプ(自助)的空間や、そのアプローチ自体を意味するそうです。

治療や矯正の場というよりも「学びあう場」という側面が強く、スイスの思想家アリス・ミラーの思想をもとに実践されています。アリス・ミラーは、日本では『魂の殺人』の著者としてよく知られていますが、幼児虐待とその社会への影響に関する研究をした心理学者です。ミラーは、残虐な罪を犯す「犯罪者」の多くが、幼児期に受けた深刻な虐待体験に囚われていて、根本的な問題解決には、その被虐待体験を明らかにしていく過程と、本人による受容と自覚が不可欠だと主張しています。


Facebookでもシェアしましたが、こちらの記事では、坂上監督は以下のように語られています。

maga9.jp

 

坂上監督)自分の罪や過去を語ることは、単純だけど難しい。もし、社会のなかで彼らが語れる場があれば、刑務所に来なくてよかったかもしれません。

――ほかにも、本作に登場する受刑者は、おしなべて壮絶な過去を背負っています。ただ、そのように受刑者が罪を犯した背景を語ると、必ずと言っていいほど「悲惨な幼少期を過ごした人でも、全員が犯罪をするわけじゃない」という反論があります。

坂上監督)心理学の研究によると、虐待を長期にわたって受けた人たちの約2割が何らかの加害行動をするそうです。8割はまっとうに生きていると思う人もいるでしょうけれど、私はこの2割がかなり多い数字だと思います。また、別の海外の研究報告では、犯罪を行った人たちの8割以上に、暴力や虐待を受けた過去があるとされています。加害者になる前に被害者だった人が圧倒的に多いわけです。そこを手当てしない限り、加害者として罪に向き合うことはできないと思います。自分が受けてきた被害をだれかに受け止めてもらえない限り、感覚的に被害者の気持ちがわかりません。

 

うん、そう。確かにそう。
「加害者になる前に被害者だった人が圧倒的に多い」ということからは目を背けてはいけない。そうなんだけど、なんかまだ私の中で言葉がつながらなくてもやっとしている。


坂上香監督のこれまでの活動や過去の映画について

坂上監督はもともと、テレビ業界に身を置いていた方で、ドキュメンタリー番組の制作会社のディレクターだったそうです。その経験の中で、暴力や犯罪の背景、欧米社会における対応策のあり方に強い関心を持ち、番組を作ろうとする中でアミティの活動や心理学者のアリス・ミラーと出会ったそう。

その坂上監督が制作し、2004年に公開されたのが『LIFERS ライファーズ終身刑を超えて』という映画です。米国カリフォルニア州の男性刑務所を舞台にしたドキュメンタリーで、「アミティ」が運営するプログラムをメインに撮影しています。


ライファーズ映画予告編


ライファーズ」とは、字義通りには終身刑を科された受刑者のことを指すそうですが、坂上監督は「一生罪に向き合い続ける人」と独自の定義をしています。

この映画では、受刑者たちが自分の犯した罪に向き合おうとするプロセスやそのあり様に光りがあてられています。『プリズン・サークル』の舞台島根あさひ社会復帰促進センターにTCが取り入れられるきっかけになった映画です。

詳しい内容は、京都文教大学リポジトリで公開されている坂上監督のこちらの論文がわかりやすかったです。
映画「ライファーズ」の製作における「変容の物語」

この論文を読んで、自分が受け取っていた「ずしんとした感じ」が形になってきました。

受刑者の大半に深刻な被害体験(特に幼少期の被虐待体験)があることは、欧米を中心としたさまざまな研究によって明らかにされてきた。彼らの多くは、福祉・司法・医療制度の網からこぼれ落ちてしまった結果、加害者に転じてしまったといえる。しかし、一般に矯正分野では、この点が無視、もしくは軽視されてきた。受刑者はあくまでも罰せられる対象であり、過去の被害体験を受け止めるという発想自体が存在してこなかったのである。アミティが注目してきたのはこの点であり、被害体験を「徹底的に」語れる場を矯正現場内にも積極的に作ってきたと言える。
(中略)
受刑者の多くは、自らの被害体験を語ったことがない。

このような「被害の語り」が、自らの抱える問題(他者への加害行為や自らを傷つける行為)への気づきにつながるという。言い換えると、「加害の語り」には、「被害の語り」が欠かせない。

「加害者は自らを被害者とみなすことで、責任逃れの口実にしがちだ」とはよく言われることだが、アミティの経験からは、むしろ逆のことがいえる。責任をとるためには、むしろ自らの被害体験に「徹底的に」向き合うことが不可欠であるという。

 
私が映画から受け取った大きなメッセージ(ずしんとした感じ)は、

「加害の語り」には、「被害の語り」が欠かせない。
責任をとるためには、むしろ自らの被害体験に「徹底的に」向き合うことが不可欠であるという。

ということだ、ということがこの論文でわかりました。

このブログの冒頭から、繰り返し繰り返し、同じような内容を引用しているんだけど、この論文の言葉が、映画を観た時のように、一番ずっしりと、質量を伴って届きました。

そのあたりについて、また『プリズン・サークル』を観に行って、さらに深めてみたいと思います。
(考えるだけじゃなくてさー、とつっこみも聞こえてきそうですが、まずは自分の中にある「ずしんとした感じ」の正体を明らかにできたのでひとまずここまで)

あらためて、今回映画を観て思ったのは「虐待を止めなければいけない」とかっていうだけで思考停止していてはいけないということ。ということで、まずは理解を深めるための一歩をまとめてみました。

ちょうどよいタイミングで、坂上監督の作品『LIFERS ライファーズ終身刑を超えて』と、『トークバック 沈黙を破る女たち』(元受刑者とHIV陽性者の女性たちが自身の人生を芝居にして上演するアマチュア劇団「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場」を追ったドキュメンタリー)が、CINEMA Chupki TABATAで上映されるので早速観てこようと思います!2/1(土)~2/14(金)の期間限定です。

coubic.com

 

関連する以下の映画も公開中またはこれから公開なので、観に行きます。


イランの少女更生施設を追ったドキュメンタリー
『少女は夜明けに夢を見る』

www.syoujyo-yoake.com

児童虐待をテーマにした映画『ひとくず』 

camp-fire.jp


修復的司法という可能性も

最後に、今回の一連の記事を読んで、さらに修復的正義(修復的司法)という取り組みを思い出しました。以前、NPOでこの活動をされている方のお話を伺ったことがあったからです。
これについては、またもう少し理解を深めてから詳しく書ければと思いますが、TEDの動画がわかりやすかったので紹介しておきます。

www.ted.com

私たちが検査した囚人は 扁桃体に問題がありました それで彼らが感情移入できなくなり 非道な行動へ至ったのでしょう

3,4歳までにほとんどの子どもが他人の意図を理解するという感情移入に欠かせないことができるようになります

扁桃体の欠陥があれば責任を回避されるべきだというのではありません。むしろその逆です。私たちの脳は変わり得るので、扁桃体に欠陥がある人は責任を持ってリハビリに取り組まなくてはならない。リハビリがうまくいく可能性の1つの方法が「修復的司法プログラム」を使うことです。

 

ちょっと覚え書きの引用やリンクの寄せ集めになってしまいましたが、また『ライファーズ』などを観たあとに、続きを書きたいと思います。

 

 

【ここからお知らせ】

●2/22(土)午前 「人を巻き込む力を高める!」ワークショップ
http://world-cafe.net/event/post-128.html

「やらないと絶対にわからないけど、やると学びが深く、やった後1ヶ月経ってもじわじわと気づきが来る」と評判です。ぜひ一度体験してみてください。


●2/22(土)午後 「こじらせ自己啓発への処方箋」ワークショップ
http://world-cafe.net/event/post-129.html

「とことん、自分じゃない誰かになりきってみる」という体験を通して、自分を見つめ直していきます。