自己啓発を"こじらせる"とはどういうことか?その1~ストレングスファインダー勉強会で感じたこと~
今年の4月にストレングスファインダーの勉強会に参加しました。
ストレングスファインダーとは、人がもつ様々な才能をあらゆる角度から抽出し、それらを最も共通性のある性質で分類(クラスター化)し、34の資質として特定。WEB上でこのテストを受けると、自分にその34の資質がどういう強さの順番で現れるのかがわかるというものです。上位5つと、34全部を示してくれるタイプのテストがあります。
詳しい説明はこちらなど↓
私は、15年前に1回目のテストを受けてから、昨年までに全部で7回受けていて、途中からは34個全部の順番を出してもらうのを受けているので、結構順位が入れ替わるものだなと思っていました。
ちなみに最新の結果の上位5つは
着想、最上志向、個別化、内省、共感性
で、このうち最上志向と共感性の2つは、15年間ずっと5位以内をキープしているので、私の強みと言ってもいい資質だと思います。
(そもそもストレングスファインダー受ける人は最上志向多いですよね笑)
なんでそんなに何回もテストを受けるのかというと、疑り深い性格というのもあるのですが、どうしても「どちらもあてはまる」「どちらもあてはまらない」という、「どちらでもない」という回答が多くなってしまうためです。
あとは「完全にこっち」とはならず、「どちらかといえばこっちだな」というのも多い。
また、自分が何に興味を持っている時期か、何に取り組んでいる時期かによって、結果が変わってくるんじゃないかと思ったためです。
あとは、ちゃんとそれぞれの資質を理解するための講座には参加していなかったため、理解が浅かったというのもあると思います。
で、もう少しこの結果を自分の働き方、生き方に活かしたいなという気持ちもあって、4月に勉強会に参加したわけです。
講師は ストレングス・ラボ代表の森川里美さん。非常に明解な説明で、楽しく笑いながらものすごい情報量を共有してくださり、それぞれの資質についてかなり理解が深まっていきました。
さらにグループの中で、メンバーそれぞれの5つの強みを共有しながら話していたときも、「同じ」による共感や「違い」による驚き、発見、気づきがあって、とても楽しく、終わったときには昔からの知り合いのようになっていました。
特に、自分の中で下位にある資質を上位に持っている人には、なんだか尊敬の念を覚えたものです。
(ここらへんはMBTIとちょっと違うところ。詳しくはまた今度)
ただ、ちょっとだけ、違和感も生まれました。
私は「〇〇性」が1位だから、いつも~なのよ
私は「○○志向」だから、~がほんとにダメで
といった、資質による自己概念の固着化?とも思えるような発言が他の人から出たときに、なんだか気になり始めたのです。
ストレングスファインダーのようなツールを上手く活用すれば、自分のさらなる成長や、他者との関係性、チームづくりに活かせるとは思うけれど、一方でそこで自己概念の固着化を起こしてしまうと、逆に人間としての幅を広げる可能性が狭まってしまうのではないか?という違和感でした。
そこらへんはきっと、ストレングスファインダーの講座に行けば、しっかり説明なりフォローなりがあると思うのですが、このちょっとした違和感をきかっけに、あれれれ?自分が思っている自分というのは、本当に正しいのだろうか?みたいなもやもやの森に入っていくことになったのです。
いろんな本を読んだり、ツールを通して自分を発見したり、学びの場を通してさらに自己理解を深めたりすることは、たしかに自分の成長のために大切なことだとは思うけれど、やりすぎることで「自分はこんなに自分のことを知っている」という過信を生み出したり、「自分はこんな人間だ」という思い込みを強固にしてしまい、逆に自分の可能性を歪ませてしまうことになるのではないか?
そんな時期に、これまで数々のコラボセミナーをやらせてもらっているjunoの柴田朋子さんから次回セミナーについてのご連絡をいただいたので、そのときのもやもやを投げてみたのです。
すると、
自分への視点が行き過ぎるとか、思考が勝ちすぎるとか、ツールや知識がたくさんあるとか、そういう人を想定するに「正反対」「全然違う世界観」の人を真剣に作りこんでみる体験というのは、面白くなりそうだなあと。
というコメントをいただき、「じゃあそれでセミナーやってください!」と丸投げして笑、
2か月後に「こじらせ自己啓発への処方箋」ワークショップを開催しました。
その初企画の柴田さんの振り返りがこちらです。
そもそも「自己啓発をこじらせている」ってどんな状態なんだろうか?それをどんなアプローチで考えたらいいんだろうか?
そこにわたしが思ったキーワードは「何者」「理想(の自分)と素(の自分)」。こじらせがちな状態は「自分を深堀りしてみてもそこに見たい自分がいない」こと「もっとこっちに行くべきだろうと思ってる場所が揺れ動く」こと。自分のことを見ているようで見すぎているようで、偏った側だけを見ているのかもしれないよね、ということ。変わらなくていいものをイジリ、変えたほうがいいものから動かない、ということじゃないかと。
ある種こじらせる人のキーフレーズは「自分は何者であるか、何者になれるのか」「なぜまだ何者にもなれていないのか」だったりする。
でもほんとうはそう思いこんでいる「自分という物語」がそもそも意味づけを間違えている可能性がかなり高い。であるならば、その「こじらせた物語」を、「今の自分が意味ある自分だと意味づけしなおした物語」に再構築する必要がある。意味づけをやり直すことは一人ではかなり難しいし、様々な形で自己分析やアセスメントを試してきた「こじらせ系」の人にはなおさら難しい(笑)。だから自分を横に置いて「対極にある人」を演じてみることと、そのプロセスをふりかえることがヒントになるんじゃないかと
当日は私も主催者でありながら、がっつり参加者として参加したわけですが、終わってみて思ったことは、
私自身も、「何者かにならなければいけない」と疑いもなく思っていたがゆえに、「自分は何者にもなれていないし、やりかけたことが中途半端に終わっている不完全な人間」という自己認識をしていたのですが、「何者かになっても、ならなくてもいいんじゃね?」と思えてきたということです。
「何者かになっても、ならなくてもいいんじゃね?」にいたる体験や過程は、また次回あらためてUPしたいと思います!
最後に、そもそも自己啓発とは何か?ということについて辞書的意味を載せておくと、
啓発:人々の気がつかないような物事について教えわからせること
だそうですが、
ではこじらせているとはどういう状態か?
【拗▼らせる】
① 物事をもつれさせる。解決をむずかしくさせる。
② (病気などを)なおりにくくさせる。悪くして長びかせる。
こういった意味も踏まえて、こじらせているときの兆候やしがちな行動などについても、次回アップしてみたいと思います!
そんな「脱・何者」の柴田さんの直近のワークショップは10月12日(土)開催です。