日々是流流

“細工は流流仕上げを御覧じろ”~より善く生きるためのその時々の記録です。

箱庭体験3回目。

2011年、2016年に続いて、3回目の箱庭体験に行ってきた。

タイミングとして、今、なんかちょっと上り坂が終わって、平地を歩いたり、下ったりと、変化があったタイミングだったので。
 
ちなみに、箱庭とはなんぞやとか、過去の体験の記録は、こちら。
 
 で。
今回の箱庭はこちら↓
 

 
1回目、2回目と比べると、変わっているところもあるし、変わらないこともあるしという感じ。
 
 
今回は、「サハラ砂漠」の色と言われる、赤みを帯びた砂を選んだので、1回目のさらさらの白砂、2回目の 「潤砂」とは異なるインスピレーションを砂から受けたのは、ややあるかもしれない。
 
ただ、なんとなく置く位置とか、選ぶものというのは、そんなに変わっていないような気も。最近インプットしたブッダの漫画や映画、お能の漫画や映像の影響がもろに出ているのかなと一瞬思ったが、見返すと前回にも同じものを使っているので、選ぶもの自体はそんなに変わっていない。
 
********
 
今日は4台の箱庭に4人ずつが割り振られていて、最初に砂に触ったり、グループでものを置いてみたりなどの体験をしたあと、一人20分で作成、10分で全体振り返りの30分間を4人分回すという、けっこうタイトな時間割で、私はじゃんけんで勝って一番目になった。

始まった瞬間に、いろいろなミニチュアフィギアが並んでいるところに取りに行き、これはぜひ使いたい!と直感で思うものをいくつか手にとって、
 
箱庭をつくり始めたとたん、びっくりの連続が襲ってきた。
 
「うるさっ!」
「目の前に立つか?」
「すぐ横で話すな~!」
 
とにかく参加者の人たちが、がんがん動くは、じゃんじゃん話すはで、感覚としては「あれ、今、休憩中ですか?」みたいな感じ。珍しいものを目の前にして落ち着かないのはわかるけれどさ、
 
一人の人が、箱庭をつくるその20分を、少なくともカウンセラーとしての研鑽をつんだ人たちが、尊重することができないのか?
 
と憤りを感じつつ、でもまあ、ガン無視をして、作ることに没頭した。
 
場全体が、学級崩壊寸前の教室みたいだったが、
箱庭はそれだけ人を子供にもどしてしまうもの(?)なのかもしれない。
 
 
一回目に行ったときは、砂の感触を味わうこと。
二回目には、自分の手で世界をつくり出すこと。
 
を意識していたような気がするけど、
 
三回目の今回は、なるべく自分の中の知識を追い出して、意味づけをしないように、素直な感覚でおくようにつとめていたような気がする。
 
 
先生によると、箱庭は、子どもにとっての意味と、大人にとっての意味が異なるそうで、
 
子どもにとっては、何を置くか自分で選ぶこと、ものを置く場所を選ぶことを重ねていける体験となる。
 
そこには、先回りして指示を出す親はいない。
自分で選ぶことを重ねていくことによって、自分を取り戻し、何かに向かっていく土台を整えることができるのだそうだ。
 
大人は、単純に癒しになればいい!
エネルギーが動くことが重要!
と、その位置づけを割り切っているそうです。
 
 
印象に残ったのは、私がつくった箱庭のふりかえりのときに先生が、
 

 
この波のようなオブジェを見て「これ、すごく気に入ってるでしょ?」とすぐに指摘したこと。
 
「はい、この教室に入った瞬間にこれが目に入って、一番最初にこれは絶対に使おうと思ってました!」
 
と私がうれしくなって答えると、
 
参加者の一人が「これは何ですか?波ですか?」という質問をしたのだけど、すかさず先生が
 
「いや、波としては使ってないでしょ。象徴として使ってるのよ」
 
と言ってくれたことに、私は少し安心して、
 
「立ち上がってくるものの象徴として使っています」
 
と言えたこと。
 
 
あとは
 
「孔雀をおいたのね」
「この橋は、きっとこの橋がよかったのね」
 

 

 

「からす、ふくろう、これは大物ね。すごいわね」

 

 
 
と言われたことがちょっと気にかかって、どういう象徴としての意味や含意があるのか、終わったあとスマホで調べてしまった。
 
実際に作った時間と振り返りの時間あわせて30分という短い時間だったけど、私にとっては、癒されたというより、何か真剣な試合をしたような、そんな時間だった。
 
 
 
 で、その後、他の人たちが制作に取り組んでいる間、先生に質問をしに行った。
今日、この場は、うるさくないですか?と。そしたらそれに対しての答えは、私のメンタルモデルのひっぺがしにつながった。
 
「特に一人目で、初めての人だと、しーんとして、みんなから見られてたら、作れない人もいる」
 
ときいて、たしかに、そうか!と。
なので静かに作りたい私は、もうちょっと後の順番のほうがよかったのだろう。
 
そこである程度納得をして、その後は先生についてまわって、先生の参加者へのかかわり方を観察したり、どんなコメントをしているか、それを受けて参加者の人たちがどう答えているかを見ていて、これはこれで、ものすごく実り多き時間だった。
うるさい人たちも、途中何度か「今は話しかけないで」と注意されていたし。
 
数年後、4回目に体験するときは、また今日の投稿を見返しつつ、もっと観察者の視点を持って、没頭してこようと思う。

以上、(やや愚痴混じりだが)駆け足だけれども、体験の記録として。